ぼくの行く道

青年海外協力隊2019年度1次隊(小学校教育)バヌアツ

(メモ)いいことした気分の落とし穴

先日の4年生図形の授業。

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この授業の数日後、

朝のゴミ拾いの時に、授業で作ったサイコロが外に落ちてるのを見かけた。

もちろん、子どもに悪気はないと思う。(授業後も遊んでたし、そもそもみんなポイ捨てが当たり前の国だから。)

 

けれど、

 

あの授業は、子どもたちにとって、どれだけの学びがあったのかな。

 

と、ふと思ってしまう。

 

この授業について書いた記事を読み返してみたけど、

なんだかすごく良い授業ができたかのように書いてる。

(もちろん、その時は本気でこう思って書いたんだけれど。)

 

日本で先生をしている時にもたまに思ってたことだけど、

ぼくら教師は、実践を盛って話しちゃうくせがあるような気がする。

 

エキペ小学校には、オーストラリアから来てる英語の先生がいる。

とても品のいい、感じのいいおばさまで、エキペ小の先生たちも信頼してる。

 

その先生が、ご自身で作った算数の教材を貸してくれた。

その量がすごくて、びっくり!

いったい、どれだけの時間をかけてこれを作ったんだろう。

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ぼくの家に持って来てくれる時に、ちょっとぼやいていた。

 

「前は、学校にこの教材を置いていたんだけど、

先生たちはあまり使わないし、

使う先生たちも、使い方や片付け方がひどくて、

教材へのリスペクトがないの。」

って。

 

ぼくも今、5年生の先生と一緒にかけ算九九の教材を作ってる。

けど、この先生の言葉を聞いて、ちょっと待った!と考え直した。

 

ぼくは作ることで満足してないかな?

バヌアツの先生たちが、どうやってこの教材を長く、効果的に使っていくのか考えたかな?

 

自分の中でいい感じだった4年生の図形の授業も、

心のどこかで、完成して満足してる5年生用かけ算九九の教材も、

 

自分が満足してる。

それで、いいことした気分になってる。

 

べつにそれは悪いことじゃないんだけど、 

いいことした気分は、もっと大事なことを見えにくくするかもしれない。

 

そんなことを考えていた昨日の1年生の授業。

先日行ったテストの結果が悪かったから、

プリントを用意して、担任の先生と一緒に振り返り授業をした。

 

その授業の中で、

先生が子どもに寄り添って、分からない問題を教えている姿があった。

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この姿は、普段めったに見ない。

 

エキペ小では、普段は大学の講義みたいに、先生の説明をただ聞いて黒板を写す授業ばかり。

日本の教室では当たり前に見られる、

先生が子どもの様子を一人一人見ながら、困ってる子がいたら机のそばにしゃがんで、分からない問題の助けをする

という場面も全く見かけない。

 

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だから、この姿を見たとき

先生、すごいなと思った。

それから、

これが大事なんだよなと思った。

 

1回の素晴らしい授業よりも

毎日繰り返される先生と子どもの何気ない関わりの方が

ずっと子どもの学びにとって価値のあることだから。

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この何気ない関わりも、当然、教師のスキルの1つ。

 

このエキペ小の先生たちと子どもたちとの、

ささいで何気ない毎日の学びの関わりが、

もっと充実したものになるように支援していけたらいいなと思う。

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