ぼくの行く道

青年海外協力隊2019年度1次隊(小学校教育)バヌアツ

ただいま適応中〜。

虚無感に負けそうになる日がある。

 

何にもやる気が起きない

無気力感に勝てない日がある。

 

頭に霧が立ち込めてて、ぼんやりする感じ。

 

f:id:Bokutaro:20191212075000j:plain

 

青年海外協力隊として、バヌアツに来てから、

4ヶ月が過ぎた。

 

水道も電気も来てない

(川から水を引いてる手作り水道と、

ドライヤーを使うと止まるソーラーパネルはあるけど。)

エキペ村での生活を始めてから、

もう100日間が過ぎた。

 

これだけいると

外国人のボクがこの村にいるってことも、もう馴染んできて当たり前になっているし、

仲の良い友達もいれば、この人と一緒にいると落ち着くな~という人もいる。

 

もうエキペ村はボクの帰ってくる場所になってて、

首都や旅行先から帰ってきて、村でバスを降りると、

「カズ!」「カズ!」とたくさんの子どもたちが迎えてくれるのも嬉しい。

 

 

ゆったりと時間が流れる大洋州の島国での生活に憧れがあってバヌアツに来たし、

日本や先進国では当たり前にある、あらゆる物が揃わない、

途上国での暮らしを直に体験したいという気持ちもあって青年海外協力隊に参加したというのもある。

 

けど、そこでの生活は

想像してた以上に、しんどい。

 

 

当たり前なんだけど、

バックパッカーとか旅行で2週間とか1ヶ月とか滞在するのと、

その土地で暮らすことは全く違う。

 

エキペ村に来た時は、

全てが新鮮で、日本での暮らしと全く違って、

刺激を受ける日々だった。

 

けど、段々と生活に慣れていって、

ここでの生活が日常になっていって、

2ヶ月過ぎたあたりから少ししんどいなと思うようになって、

最近は、無気力感と戦って負けちゃう日がけっこうある。

 

時には、1日中家の中にいて、

1日が終わってから、

今日、ボク何したんだろう。と、ふと思うこともある。

 

(一歩、家の外に出れば、

綺麗な自然もあれば、

村に家族もいるし子どもたちもいるし友達もいるんだけど…

その一歩を踏み出す気力が湧かない日があるんだよね。)

 

 

今まで味わったことのない圧倒的な異文化に対して、

ボクの中の抵抗力が全力で働いてる感じ。

 

 

近畿医療福井大学の勝田教授によると、

途上国っていう異文化に飛び込んだ時、

異文化に適応するまでには、誰でも多かれ少なかれ不適応期があるらしい。

 

https://www.jpc-net.jp/paper/kaigai8/kaigai1.pdf

 

ボクは今、分かりやすいくらいの不適応期だ。

 

 

それからもっと詳しく調べると、

人が異文化に適応するまでには、もう少し細かい段階があるみたい。

 

アドラーの異文化適応の段階」によると、

 

1:接触 / Contact「興奮と幸福感」

新たな文化に入り、興味深く、発見、驚き、喜び、興奮の時期。

以前にいた文化側の視点で物事を比較、判断している。

相違点より類似点に意識が向く。

2:自己崩壊 /disintegration「戸惑いと混乱」 

新たな文化の中で新来者として、自分の行動や態度、価値観に戸惑いと不安を感じる。

喪失感、孤立感、疎外感、気分の落ち込み、悩みがある。

理解、適応への継続的努力のため心身の疲労にもつながる。

類似点より、相違点に意識が向く。

3:自己再統合/ reintegration「異文化の拒絶」 

異文化への拒絶感が強くなる。

怒りや不満を感じ文句や不満を言うことも多くなる。

排他的になり、慣れ親しんだ文化の中に引きこもる。

否定的な行動や表現、態度は異文化の中で自己肯定と自尊心の成長に必要なプロセスでもある。

4:自律、自主性/ reintegration「異文化への感性と生活力の向上、異文化への理解」

他の文化から来た人たちと心情的につながり、理解が深まる。

以前の文化の合図やしきたりに頼らず、新たな状況の中で自主的に判断して生きていく事が出来る。

自信を持ち、自分でやっていけるという安心感もある。

5:独立 /independence

文化の相違点と類似点を楽しむことが出来る。

両方の文化の感性を引き出し、信頼することが出来る。

ここまでの文化適応の段階を通して異文化を経験することによって自分を成長させ、

人がいかに教育と文化に多大な影響を受けているかを知ることが出来る。

 

Adler, Peter S. "The Transitional Experience: An Alternative View of Culture Shock." Humanistic Psychology Vol. 15, No. 4, Fall 1975;)

 

 

この段階で言うと

今のボクは、2から3の段階に移って少し経ったところかな。

 

日本の連続ドラマや大河ドラマをずっと観てたり、(逃げ恥がもう懐かしく感じた。)

小説や漫画を読みふけったりしまくってる。

(データをくれた先輩の隊員に心の底から感謝。)

 

明らかに、慣れ親しんだ日本の文化の中に逃げ込んでる。

 

なんか文章にするとすごく怠けてるだけになっちゃうんだけど、

そうしてないと、心のバランスが崩れちゃいそうな感じ。

それに、これはこれでけっこうしんどい。 

 

 

ボクは、バヌアツのエキペ村という異文化の何を、こんなに拒絶してるんだろう。

きっと日本と違うあらゆる文化に対してだろうから、言葉にするのは難しいんだけど、

 

あえていくつか言葉にするなら、

 

・しょっちゅう止まる水道

(川の水を引いてるから気まぐれ。

止まったら、洗い物もできないし、体も洗えないし、トイレすら流せない。)

・食べさせてもらってるエキペの食事

(冷蔵庫が使えなくて、村には缶詰と少しの調味料くらいしか置いてない商店しかないから自炊はかなり難しい。

3食お世話になってる身で言うのはすごく失礼なんだけど、

日常のエキペご飯は、ちょっとしんどい。

お皿めいっぱいのご飯に、ほとんど油の味しかしないキャベツとツナのスープがかかってる感じ。)

 

っていう毎日の生活のしんどさと、

 

・常に誰かといるのが当たり前のバヌアツ人の性格

(日本人のボクには、一人でいる時間も大切なんだけど、

バヌアツ人にとっては、独りでいるのは良くないことみたい。

風邪をひいて寝てる時でさえ、引っ切りなしに家に来てくれる。)

・ありあまる時間

(村には、文字通り、村人と大自然しかない。

学校があるときはまだ良かったけど、今は本当に暇。

暇な日には、1日中砂浜でおしゃべりしてることすらある。

ほんわかしてていいじゃんと思うかもしれないけれど、

日本のメリハリある生活が心から懐かしい。

時間単位で何となく毎日の行動が決まってるってすごく楽で心地いいことなんだよね。

ここでの今のボクは、「自由」な時間との闘い。

日本で働く日々は、「不自由」に守られてもいたんだなと思う。)

 

っていうバヌアツの文化のしんどさがある。

 

f:id:Bokutaro:20191212075106j:plain

 

ここのところ、いろんな人にしんどいってことを伝えてるうちに、

少し心が軽くなったような気がしてる。

頭の中に立ち込める霧も薄くなる日が多くなって来た。

 

もちろん、首都に行ったりして、リフレッシュもぼちぼちしてる。

けれど、村に帰ってくる度に思う。

ボクが適応するべき、闘うべき場所は、ここなんだなって。

 

バヌアツにいる2年近くの間に、

アドラーの言う5の「独立」の段階まで適応できるだろうか。

 

「両方の文化の感性を引き出し、信頼することが出来る。」

そんな感覚が身についたらサイコーだと思う。

 

 

大学の時に、

尊敬する人が教えてくれた素敵な言葉の1つ。

 

失敗した時、悩んでる時、

苦しくてつらい時、

くやしい時、悲しい時、

そんな気持ちが頭の中をぐるんぐるんして大変な時は、

 

「ただいま成長中〜!」って言えばいいんです。

そのうちに、一皮向けて成長できるかもしれないんです。

 

 

辛くてしんどい時期は、きっと大切な学びの期間なんだと思う。

 

だから、村での生活に適応するまで、

しんどさを感じなくなるまでの

もうしばらくの間、耐える闘いをのんびりしていこうと思う。

 

ボクは今、

 

「ただいま適応中~~。」

f:id:Bokutaro:20191212074916j:plain