100種類以上の言語がある国
ある日、同僚の先生と話していたら、
「日本には、何種類の言語があるんだ?」
と聞かれ、
「日本語は1つの言語だけど、中国から来た漢字とひらがな、カタカナ、3種類の字を使って表すんだよ。」
と、カタコトで何とかかんとか説明。
「1つの言語なのに、3種類の字が入り混じって書き表すから難しい言語かも。」
と、言ってみると
「そんなことないさ。勉強しだいだよ。」
だそうです。
そうでした。
バヌアツ人の多くは、自分の地方言語とバヌアツの公用語であるビスラマ語に加えて、英語かフランス語を話せるんでした。
地方言語って何?となるかもしれないけれど、
日本には、1つの言語しかないところ、
バヌアツには、100種類以上の言語があるんです。
というのも、バヌアツの歴史と関係していて、
ちょこっと説明すると。
何千年も前に、バヌアツを始め、太平洋のたくさんある島々に移り住んできた人々がいます。
(台湾から来たんじゃないかって考えられてるみたい。)
バヌアツでも83個の島、それぞれに住み始めたのですが、
何しろずっと昔の話。
長い時間をかけて段々と、それぞれの島や村で話す言葉が変わってきました。
この、それぞれの地方の言葉は、日本の方言なんてものじゃなくて、
もうまるっきり違う言語。
他の地方の人とは、言葉が通じません。
そこで生まれたのが、「砂絵」
言葉が通じないから、砂に絵を描いてコミュニケーションをとってきたらしいです。
(http://www.accu.or.jp/masterpiece/masterpiece.php?id=77&lg=jpより)
カスタムビレッジといって、文化体験のできるところに行った時、
ここのチーフも言ってたけど、
今では、砂絵を書ける人は少なくなってしまったらしくて、
自分たちが代々、紡(つむ)いできた文化は大切にしなければいけない。
色々な人にもっと自分たちの文化を知ってほしい。
日本の「和食」と同じように、無形文化遺産になってるバヌアツの「砂絵」
次の世代へ残っていって欲しいですね。
歴史の続き。
200年ちょっと前の18世紀末ごろ(日本は江戸時代の中ごろ)
ヨーロッパが植民地獲得に乗り出していて、
バヌアツには、まずイギリス人が来ました。
その後、フランスも負けじとやってきて、
イギリスとフランスが何度も衝突を繰り返した後、
100年くらい前に、2つの国で一緒に国を治めることになりました。
39年前にバヌアツは独立したけれど、そのころの影響は残っていて、
島によって英語を話す人とフランス語を話す人がいたり、
英語系の学校と、フランス語系の学校が分かれていたりします。
ところで、ビスラマ語は何かというと、バヌアツの公用語。
元々、話す言語の違うバヌアツの人々。さらに、英語を話す人とフランス語を話す人が分かれました。
これでは、会話できません。
そこで生まれたのが、ビスラマ語。
英語とフランス語が混じり合って、変化して生まれた言葉。
例えば
日本語「私の名前は、一将です。」
英語「My name is Kazumasa.」
ビスラマ語「Nem blong mi Kazumasa」
(blong とは、英語の of の代わり)
英語と似ているの、何となく分かりますか?
首都にいた1ヶ月の研修うち、10日間は大学に通って
このビスラマ語を学んでいました。
(バヌアツ唯一の大学のUSP)
バヌアツ人は、言語の力がとても豊かで、
このビスラマ語と英語と自分の地方言語を器用に使い分けます。
バヌアツ人同士の会話を聞いてると、ビスラマ語で話してたかと思いきや、いつの間にか英語に変わってたりします。
まるで、頭の中に自動のスイッチがあって、自然に切り替わるみたいに。
さて、ぼくはというと、
何とかかんとか、カタコト英語
何とかかんとか、カタコトビスラマ語
のところ、
村の人たちはしきりと村の言葉を教えてくれます。
常にみんなが、相手が、なんて言ってるか頭フル回転です。
毎日、英語とビスラマ語と村の言葉の勉強です。
ちなみに初めて教え込まれた村の言葉は自己紹介。
学校初日の全校集会で、話してみました。
村の言葉「ケノ キャニオ ケ カズマサ、二ミナ ティン アトン ハーフ ジャパン」
(もはや、アルファベットのつづりなんて全く分かんない。)
何て言ってるか、何となく分かりますか?
日本語訳は(たぶんだけど。)
日本語「ぼくの名前は、一将です。半分日本人、半分トガリキ島(村人のふるさとの島)出身です。」
日本とトガリキのハーフみたいな感じかな?
これを言うと、みんな大笑いしてハイタッチしてくれます。
それから、村の言葉を使うと、やっぱりみんな喜んでくれます。
とにかく!
英語とビスラマ語と村の言葉、勉強頑張ります。