ぼくの行く道

青年海外協力隊2019年度1次隊(小学校教育)バヌアツ

自分の手で確かめる

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エキペ小学校には、算数の教科書がない。

(多くのバヌアツの学校がそうらしいけれど。)

 

教科書がないから、

先生が黒板に書いた問題を

子どもたちが全てノートに写す。

 

長い文章も

図形も。

 

書くのが遅い子は、

問題の丸つけが始まっても写し終わってすらいないこともある。

 

 

エキペ小学校には、算数の教材・教具がない。

 

教材・教具がないから、

先生が黒板に書いた絵を

子どもたちが全てノートに写す。

 

定規の目盛りも、

重さを比べるてんびんも、

図形も。

 

黒板を見てフリーハンドで写すだけだから、

定規の目盛りはバラバラ。

てんびんはサーカスの玉乗りのように傾いてる。

三角形や四角形はヘロヘロで何角形か分からなくなってることもある。

 

(毎日毎日、黒板を写してるから、

高学年になるとノートに写す技術はかなりのもの)

 

 

本の学校の算数教材室にある、

 

ちょっと古くてさびてるはかりも、

木の積み木も、

傷が付いて白く霞んでる1Lますも、

バネが壊れかけてて、うまく巻き取られない巻尺も、

すごくありがたいものだったんだな~と実感してる。

 

算数の学びには、具体物や教材、教具がとても大切なんだなって実感してる。

 

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算数で大切なものって、知識とか技術なのかな?

 

もちろん、九九や筆算の仕方、公式などを覚えることも大切だけど、

算数で一番大切なことって、もっと他のものな気がする。

 

日本を代表する大数学者、岡潔さんは著書「春宵十話」の中で、

 

数学の属性の第一はいつの時代になっても「確かさ」なのだ

 

と言っている。

 

数学の学問分野は、これまでの数学者たちが見つけたたくさんの証明が山のように積み重なってできてる。

もしも、この中に1つでも間違いが見つかると、途端にその山は全て崩れてしまう。

 

例えば、「1+1=2」

これは正しいとみんなが知ってるけど、

もしも、これが間違いだったら、

「2×4=8」だって、

「30÷5=6」だって、

もっともっと複雑な全ての計算だって、

全部間違いになっちゃう。

 

右足を出してはそれに全身の体重を託し、つぎに左足を出してはまた体重を託すというふうに一歩一歩踏みしめて進んでいくのが科学の学び方にほかならない

ということらしい。

 

春宵十話 (角川ソフィア文庫)

春宵十話 (角川ソフィア文庫)

 

 

 

 

そう考えると、

小学校の算数では、

 

「先生に知識を教えてもらう(ああ、そうなのかな。)」よりも、

 

「自分で確かさを実感する(ああ、そういうことか!)」の方が

 

圧倒的に大事なことだ。

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だから、

先生の説明を聞く。

用語や公式を覚える。

黒板を写す。

ことよりも、

 

自分の手で、

具体物を操作する。

数字を操る。

問題を解決する。

数値が正しいか確かめる。

 

ことの方がずっとずっと大切な学び。

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物置に、

ほんの少しの算数グッズが入ってる算数BOXを発見した。

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誰も使ってるところを見たことないけど、

先生たちが使いやすいように教材棚に整理整頓する必要があるね。

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分野ごとに種類分けして、ラベリングしたらすぐ使えるかもね。

 

現地のもので作れる教材を一緒に考える必要もあるかも。 

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どの子も「自分の手で」活動して、

確かさを実感できるような授業になっていくといいな。

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