ぼくの行く道

青年海外協力隊2019年度1次隊(小学校教育)バヌアツ

(メモ)子どもが学ぶ姿を見守ること

エキペ小学校の多くの算数の授業は、

大学の講義にちょっと似てる。

(そうじゃない先生の授業も、もちろんある。)

(それに、そうじゃない大学の講義だってもちろんある。)

 

 

先生が話して説明する。

先生が黒板にいくつかの問題を板書する。

子どもたちは問題をノートに写す。

子どもたちが問題を解く。

先生が黒板に答えを書く。

 

 

日本で講義型って呼ばれる授業

(甲斐崎先生は、

「後頭部凝視型」と呼んでいた。)

今の教室 - もぐらのさんぽ

 

それよりも、さらに一方的な感じ。

 

 

先生は、声の大きい反応の良い子とやり取りしながら、説明する。

 

教科書もドリルもプリントもないから、

子どもたちは、板書された問題を問題文から図形まで全てノートに写す。

 

スラスラノートに写す子がいる一方、

ノートを開いてすらいない子もいる。

 

先生が、そろそろ時間がないなと判断したら

(教室の時計は止まってるから、先生の感覚。)

黒板に答えを書いていく。

 

その時、一番作業が遅い子は、

日付と曜日を書いていたりする。

 

遅い子は、問題を考える時間もなく、答えを写す。

 

 

やる気と理解度と作業進度の「差」がすごい。

 

 

授業の型とか、子どもに問いかける発問の工夫だとかの前に、

何か違和感がある。

 

先生は、子どもの姿を見ているんだろうか。

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「誰が理解していて、誰が分かっていないのか。」

「誰がどんな考え方をしているのか。」

「つまずいている子はいるか。」

「遅れているのは、どの子か。」

「何となくやる気の出ない子はいるか。」

「あの子は今日、体調が悪いんじゃないか。」などなど

 

1クラスの人数は多いし、教科書などハード面での課題もあるけれど、

良くも悪くも時間には、とてもゆとりがある。

(1コマ2時間もある。という意味でも、

1年間の学ぶべきカリキュラムに余裕がある。という意味でも。)

 

 

「その授業での子どもの理解度を把握すること。」

 

「その日の子どもの体調を見取ること。」

 

「子どもの学ぶ姿を見守ること。」

 

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来年度、エキペ小学校の先生たちと一緒に考えていきたいことの1つ。