(メモ)子どもが学ぶ姿を見守ること
エキペ小学校の多くの算数の授業は、
大学の講義にちょっと似てる。
(そうじゃない先生の授業も、もちろんある。)
(それに、そうじゃない大学の講義だってもちろんある。)
先生が話して説明する。
↓
先生が黒板にいくつかの問題を板書する。
↓
子どもたちは問題をノートに写す。
↓
子どもたちが問題を解く。
↓
先生が黒板に答えを書く。
日本で講義型って呼ばれる授業
(甲斐崎先生は、
「後頭部凝視型」と呼んでいた。)
それよりも、さらに一方的な感じ。
先生は、声の大きい反応の良い子とやり取りしながら、説明する。
教科書もドリルもプリントもないから、
子どもたちは、板書された問題を問題文から図形まで全てノートに写す。
スラスラノートに写す子がいる一方、
ノートを開いてすらいない子もいる。
先生が、そろそろ時間がないなと判断したら
(教室の時計は止まってるから、先生の感覚。)
黒板に答えを書いていく。
その時、一番作業が遅い子は、
日付と曜日を書いていたりする。
遅い子は、問題を考える時間もなく、答えを写す。
やる気と理解度と作業進度の「差」がすごい。
授業の型とか、子どもに問いかける発問の工夫だとかの前に、
何か違和感がある。
先生は、子どもの姿を見ているんだろうか。
「誰が理解していて、誰が分かっていないのか。」
「誰がどんな考え方をしているのか。」
「つまずいている子はいるか。」
「遅れているのは、どの子か。」
「何となくやる気の出ない子はいるか。」
「あの子は今日、体調が悪いんじゃないか。」などなど
1クラスの人数は多いし、教科書などハード面での課題もあるけれど、
良くも悪くも時間には、とてもゆとりがある。
(1コマ2時間もある。という意味でも、
1年間の学ぶべきカリキュラムに余裕がある。という意味でも。)
「その授業での子どもの理解度を把握すること。」
「その日の子どもの体調を見取ること。」
「子どもの学ぶ姿を見守ること。」
来年度、エキペ小学校の先生たちと一緒に考えていきたいことの1つ。