ぼくの行く道

青年海外協力隊2019年度1次隊(小学校教育)バヌアツ

イベントのご飯はビーフ

時々、

どこか遠くの方から、

ある時はけっこう近くから、

牛や豚の鳴き叫ぶ声がしてくる。

 

ものすごい声で、何度も何度も鳴いて、

文字通り、断末魔の叫びという感じ。

 

こういう時は、家族や村でイベントがある時。

 

村には、いたるところに牛や豚、ヤギがいる。

一応、それぞれ木にくくりつけられているけれども、

人が近づくのもおかまいなしに、とても自由に振舞っている。

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村の人たちに聞くと、

この牛はあのおじいちゃんので、

あのヤギはあの子のだよ。

と、誰もが持ち主を知っている。

 

そんな牛や豚たち。

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お祝い事や家族の誰かが亡くなった時、

お父さんが出稼ぎにしばらく海外に出かける時、

新しい事業が完成した時などなど、

イベントがある時には、

村では普段はあまり食べない牛や豚を食べる。

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何度も何度も木の棒で叩いて屠殺するから(食べるために殺すこと)

悲痛な叫びが村中に聞こえる。

 

牛がお亡くなりになると、

家族のみんなで解体作業。

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すごく慣れた感じ。

 

お父さんが骨から切り離す。

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大きなお兄ちゃんたちが小さなカケラにさばく。

 

小学生も手伝う。

写真の彼は、食べやすいサイズに切り分けてる。

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切り終わったら、みんなで料理。

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みんなでご飯。

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普段の村の食事は、鶏肉ばかりだから

時々食べるビーフはとても美味しい。

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パチンコで撃ち落とした鳥を、

その場で羽をむしって、火を起こして丸焼きにすることもある。

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(見た目はちょっとしんどかったけど、美味しかった。)

 

野生の豚がいたと言って、

銃を持ち出して、追いかけることもある。

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(この日は捕まえられませんでした。)

 

 

日本で生活するよりも、

「命」を食べてることを身近に感じることが多い毎日。

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バヌアツ人と一緒に、

食べる前には必ずキリスト教の「お祈り」をして、

 

日本人として小さな頃からずっと言ってきた「いただきます」を唱えて、

 

毎日、美味しく命をいただいてます。

 

命はどうしてたいせつなの? (こころのえ?ほん)

命はどうしてたいせつなの? (こころのえ?ほん)

 

(とても大事な大事な、ぼくの小学校の時の先生からもらった絵本。とても素敵な絵本。)

村の日曜日

バヌアツでは、多くの人が休日に教会に行く。

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エキペ村のぼくの家族や近所の人たちは日曜日が教会に行く日。

(教会によって、土曜日だったり月曜日だったりもするらしい。)

 

教会では、みんなで

聖書を読んだり、

聖歌を歌ったりする。

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聖書の朗読は、早口のビスラマ語でほとんど何を言ってるか分からないんだけど、

聖歌は、すごい。

 

事前に歌う曲が決まってるのか、決まってないのか、

聖書の朗読の合間に、一人の人が突然、歌い出す。

すると、3小節目くらいからみんなが合わせて歌い出す。

 

バスからソプラノまで、自分の好きな音程で歌う。

そのハモりの美しさ!

こんな風に自然にハモれたら気持ちいいだろうな~という感じ。

 

教会では、

じッと目をつぶって祈ってるおじいちゃんおばあちゃんもいれば、

マットでゴロゴロしてる子どももいる。

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ここでの宗教のことは、まだあまり分からないけど、この空間は好き。

 

バヌアツでは、多くの人がキリスト教を信仰している。

(その中では、いくつかの宗派に分かれてるみたい。)

 

だから、当然、

「あなたはどんな宗教を信じてるの?」と、よく聞かれる。

 

正直、答えるのが難しい。

「ぼくの家族は、仏教を信仰してるんだよ。」とぼく。

「どのくらい仏教の教会に行くの?(お寺のこと)毎週?」と友達。

 

え、毎週は行かないよね。

(お墓参りと何か行事ごとがある時だから、半年に1回くらい?

あ、年末には除夜の鐘を聞きにに行くよな。)

 

と、ぼくが曖昧な答えをするとみんなビックリする。

後から話に加わってきた友達たちに

「カズは、1年に2、3回しか教会に行かないらしいぞ!」って、どんどん説明してくれる。

 

こんな風に自分たちの宗教をとても大切にしている人たちと話すと、

日本人の宗教観は、独特なんだろうなと思う。

 

日本では、様々な宗教が生活に密接に関わってる。

 

ぼくの場合は、

 

年末は、仏教のお寺で除夜の鐘を聞く。

ぼくの家族のお墓もお寺にあるから、ご先祖様に手を合わせに行くし、

家族が亡くなった時には、お経をあげてもらう。

友達と一緒にお参りしたあのお寺の荘厳さは忘れられない。

 

お正月は、神道の神社に初詣。

厄払いに行くこともあるし、

家族の健康や幸せを願って参拝することもある。

ぼくの名前も地元の神社でいただいた。

 

幼稚園と大学はキリスト教の学校だったし、

親戚の中には、牧師さんをしていた人もいる。

友達の結婚式には、キリスト教の教会に行くことが多いし、

クリスマスは、みんなでご馳走を食べながらお祝いする。

 

1つの宗教と1つの神様を大切にしている国の人からしたら不思議なのかもしれないけれど、

 

日本人にとっては、

八百万の神(自然の中のありとあらゆるものに宿る神様たち)

って考え方もすごく自然に感じるし、

 

日常生活の中のそれぞれのシーンで、

それぞれの宗教を信じるってとても自然なことだと思う。

 

臨済宗大本山妙心寺退蔵院

松山大耕 副住職は、

この動画の中で、

www.youtube.com

 

日本人の寛容な宗教観は、とても大切なものだと言っている。

(どの宗教も広く受け入れる心。)

 

この大耕和尚さんの話は、とても分かりやすくて面白い。

宗教の違いを、食の違いに例えてるところを、簡単に要約すると、

 

仏教発祥の地インドの、とても厳しい戒律(守らなければならない約束)のある仏教と、

普段は厳しい戒律はないけれど、ご先祖様と礼節を大切にする日本の仏教。

 

インドの人からしたら「こんなの仏教じゃない。」と言われてしまうかもしれない。

仏教じゃないなら、

じゃあ、日本の仏教は何て呼んだらいいんだろう。

 

カレー発祥の地インドのとてもスパイシーで辛いカレーと、

日本の甘くてまろやかなカレー。

 

インドの人からしたら、「こんなのカレーじゃない。」と言われてしまうかもしれない。

じゃあ、ぼくたちが普段食べてるカレーは何て呼んだらいいんだろう。

 

「日本の仏教。日本のカレー。」と呼ぶしかない。

 

和尚さん自身の大学の頃の研究によると、

インドのカラッとした夏の気候には、インドのカレーが合うし、

日本の湿度の高いジメッとした夏の気候には、日本のカレーが合うことが分かったらしい。

 

食というのは、その土地の気候・風土に大きく左右されます。

宗教も同じで、もちろん気候・風土、それから歴史・文化・伝統など、いろんな要素で、

その国にふさわしい形に洗練されてまいります。

 

 

ぼくは、日本人の宗教との付き合い方、好きだなと思う。

けれど、この感じをビスラマ語でバヌアツの人に説明できる日は来るんだろうか。

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(メモ)いいことした気分の落とし穴

先日の4年生図形の授業。

bokutaro.hatenadiary.com

この授業の数日後、

朝のゴミ拾いの時に、授業で作ったサイコロが外に落ちてるのを見かけた。

もちろん、子どもに悪気はないと思う。(授業後も遊んでたし、そもそもみんなポイ捨てが当たり前の国だから。)

 

けれど、

 

あの授業は、子どもたちにとって、どれだけの学びがあったのかな。

 

と、ふと思ってしまう。

 

この授業について書いた記事を読み返してみたけど、

なんだかすごく良い授業ができたかのように書いてる。

(もちろん、その時は本気でこう思って書いたんだけれど。)

 

日本で先生をしている時にもたまに思ってたことだけど、

ぼくら教師は、実践を盛って話しちゃうくせがあるような気がする。

 

エキペ小学校には、オーストラリアから来てる英語の先生がいる。

とても品のいい、感じのいいおばさまで、エキペ小の先生たちも信頼してる。

 

その先生が、ご自身で作った算数の教材を貸してくれた。

その量がすごくて、びっくり!

いったい、どれだけの時間をかけてこれを作ったんだろう。

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ぼくの家に持って来てくれる時に、ちょっとぼやいていた。

 

「前は、学校にこの教材を置いていたんだけど、

先生たちはあまり使わないし、

使う先生たちも、使い方や片付け方がひどくて、

教材へのリスペクトがないの。」

って。

 

ぼくも今、5年生の先生と一緒にかけ算九九の教材を作ってる。

けど、この先生の言葉を聞いて、ちょっと待った!と考え直した。

 

ぼくは作ることで満足してないかな?

バヌアツの先生たちが、どうやってこの教材を長く、効果的に使っていくのか考えたかな?

 

自分の中でいい感じだった4年生の図形の授業も、

心のどこかで、完成して満足してる5年生用かけ算九九の教材も、

 

自分が満足してる。

それで、いいことした気分になってる。

 

べつにそれは悪いことじゃないんだけど、 

いいことした気分は、もっと大事なことを見えにくくするかもしれない。

 

そんなことを考えていた昨日の1年生の授業。

先日行ったテストの結果が悪かったから、

プリントを用意して、担任の先生と一緒に振り返り授業をした。

 

その授業の中で、

先生が子どもに寄り添って、分からない問題を教えている姿があった。

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この姿は、普段めったに見ない。

 

エキペ小では、普段は大学の講義みたいに、先生の説明をただ聞いて黒板を写す授業ばかり。

日本の教室では当たり前に見られる、

先生が子どもの様子を一人一人見ながら、困ってる子がいたら机のそばにしゃがんで、分からない問題の助けをする

という場面も全く見かけない。

 

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だから、この姿を見たとき

先生、すごいなと思った。

それから、

これが大事なんだよなと思った。

 

1回の素晴らしい授業よりも

毎日繰り返される先生と子どもの何気ない関わりの方が

ずっと子どもの学びにとって価値のあることだから。

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この何気ない関わりも、当然、教師のスキルの1つ。

 

このエキペ小の先生たちと子どもたちとの、

ささいで何気ない毎日の学びの関わりが、

もっと充実したものになるように支援していけたらいいなと思う。

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本日の料理長

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(大人がみんな出かけた日曜日のお昼。

今日は僕が料理するんだ!と嬉しそうにしてる、ぼくの甥っこ。)

 

 

冷蔵庫がただの部屋の飾りになった日から、

たぶん1ヶ月くらい経った。

 

初めての一人暮らしだし、この機会に自炊をしよう!

と本当は思ってた。

 

今は、

1日3食、エキペ村の人にごちそうになってる。

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いつもごちそうさまです。

 

 

そんなぼくが毎日食べさせてもらってる

バヌアツのなんてことない日常の

普通の食卓をちょこっと紹介。

(日本でいうと、ご飯と焼き魚と味噌汁みたいな日常の食事の感じ。)

 

 

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ご飯、キャベツと缶詰のスープ、イモ

の3種類をワンプレートに乗せるのが基本。

 

一番多いのが、

キャベツとツナのスープを

ご飯にかける料理。

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これらは、バヌアツの日本人はみんな

「ぶっかけ」

と呼んでる。

 

いろんなバリエーションのエキペぶっかけ。

 

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鶏肉が付いたり、

ツナじゃなくて、コーンビーフやソーセージになったりする時もある。

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ちょっとだけ本音と弱音を言うと、

大体、同じ感じの味。

日本食が恋しい。

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明け方の訪問者

ある日の早朝、

寝室から出て、

え!?って一瞬固まった。

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こんな大きなクモ

どこから入ってきたんだろ?って。

 


(べつにニガテじゃないんだけど、

朝起きて手のひらサイズのクモがいたら、

誰だってびっくりするよね?)

 

 

 

それから、電気を点けて

もう一回

え!?って固まった。

 

 

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クモじゃなくて、カニだった。

 

こんな大きなカニ

どこから入ってきたんだろ?

バヌアツ人と犬

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バヌアツでは、多くの人が犬とともに暮らしている。

エキペ村では特に、どの家庭にも犬がいる。

 

ただ、日本人と犬の関係とは少し違うみたい。

 

まず、1匹として首輪をしていない。

野良犬じゃなくて、ちゃんと名前を付けて飼っている犬が。

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鎖にも繋がれていないから、

家の敷地内、敷地外、村の中、どこでも自由に行ける。

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でも、どこかに行って帰ってこなくなることはない。

それどころか、飼い主の家族が出かける時には、

歩く家族の周りを、付かず離れずついてくる。

 

改めて犬って賢いな。と思う。

日本で見る犬よりも自由に見える。(あくまでも、見える。)

 

それから、誰の犬かは関係なく、村人はみんなその犬のことを知ってる。

ちゃんと「チョコレート!」って犬の名前で呼んで(名前の感じは日本と一緒だね。)

一緒に遊んでる子に「誰の犬なの?」って聞いたけど、

「う~ん、誰のだっけ?」みたいな感じ。

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(生まれたばかりのよちよち歩きの子犬)

 

犬は、ヒトが一番初めに飼い慣らした動物らしく、

なんと!

 1万5000年前から、(石器時代

群れの中で、共同生活をしていたらしい。

 

サピエンス全史によると、

 

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 

 

犬は狩猟や戦いに使われ、群れの警報装置の役割も果たした。

1万5000年も一緒に生活してきて、犬とヒトはうまく意思を疎通させるように共に進化してきた。

ヒトと一緒にいることの利点とかヒトの感情に敏感な犬たちの方がよく面倒を見てもらい、多く餌を与えられたので、生き延びる可能性が高まった。

 

らしい。

(難しい文章だから簡単な表現に変換。)

 

エキペ村の犬たちは、こんな犬に近い。

 

食事の後、残った食べ物や食べ残しは犬たちにあげる。

食事中も鳥や豚、牛の骨をもらおうと、近づいてきて、じーっと見つめてくる。

一定の距離以上は近づいてこない。

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近づくと村の人に蹴られるから。叩かれるから。

 

(あまり書きたい話じゃないけれども、文化の違いだから少しふれると、)

 

バヌアツの人は、平気で犬を叩いたり蹴ったりする。

(その時のキャンキャン!って叫びは、日本人のぼくには結構つらい。)

大人を見て育つから、当然子ども達も同じように振る舞う。

 

それでも、子ども達と子犬は一緒に遊ぶし、

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(土曜日の朝、6時に子ども達の声がしたから行ってみたら、夢中になって子犬と子ども達が追いかけっこをしてた。)

 

大人達と大人の犬は、一緒に野生の豚や鳥を狩りに行く。

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日本のペットという感覚とは大きく違うみたい。

 

日本の「ヒトと犬」の関係よりも、もっともっと原初の時代の関係みたい。

(そう考えると、自由な生活というよりシビアな生活だった。)

 

文化と生活が違うと、「ヒトと犬」の関係にも違いがあるね。

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久しぶりに日本の、うちの犬に会いたいな。

バヌアツのマーケット散歩

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これは先週、エキペ小学校で行われたワークショップの時の写真。

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この教室の写真、

あれ?ってなりませんか?

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ワークショップの間、

なぜかずっと窓辺に置いてあったスイカ

次に見た時には、

なぜか一口食べてあったスイカ

 

バヌアツでは、フルーツがとても身近な食べ物。

(さすがに、切ってあるスイカを教室で見るのは初めてでしたが。)

村中にいろいろなフルーツがあって、子どもたちも散歩をしながら、

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持っているナイフで、皮をむいてよく食べてる。

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首都ポートビラには、大きなマーケットがある。

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島の様々な村からママや子どもたちが泊まり込みで来て、フルーツや野菜を中心に売っている。

こないだぼくの兄妹も、毛布と売るための野菜を持って出かけていた。

(テーブルの下で寝泊まりするらしい。夜は寒いだろうな。)

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そんなバヌアツのマーケット紹介。

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(ちなみに1VT(バツ)=ほぼ1円)

 

まずは、大事な大事なココナッツ

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バヌアツの食卓には欠かせないバナナ

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日本で食べる甘いバナナと、

料理に使う芋みたいなバナナの2種類がある。

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村でも良く食べている甘くて美味しいポーポー(パパイヤ)

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村人は手で引きちぎってシェアしている酸味のあるサワーサップ

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グレープフルーツに似たパープルムース

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日本の夏の風物詩でもあるスイカ

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村では見かけない野菜も、

ここでは、とても安く、大量に売ってる。

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(安いんだけど、1束の量が多すぎて、一人暮らしで冷蔵庫もないぼくにはちょっと買いづらい。)

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ぼくのいるエファテ島では、魚よりもお肉の方がよく食べられてるけど、

マーケットには魚も売ってる。

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鮮魚店を開いた先輩隊員が少し困っていたけれど。それから、クーラーボックスに入れてるだけで何時間も置いてるこの辺りは、ちょっと魚臭いけれど。)

 

それから、バヌアツの食卓には欠かせない穀類

タロイモと、

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エキペ村の人たちにとって大事な存在のヤムイモ。

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(エキペ村の人たちのふるさと「トンガリキ島」は、土が豊かで、美味しいヤムイモを大量に育てて食べてる島らしい。)

 

 

観光客もバヌアツの人も、

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新鮮なフルーツや野菜も

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毎日、大量に集まるマーケット。

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散歩するだけでわくわくです。

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バヌアツの母なる樹

村の人がこの間、ココナッツのことを

 

「Mather of tree」

 

と呼んでいた。

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バヌアツでは、ココナッツの木をとても大事にしている。

 

バヌアツから海外へ輸出してる物の中でもコプラの占める割合は大きいから、

もちろん、経済的に大切な資源でもあるんだけれど。

(コプラとは、ココヤシの果実(ココナッツ)の胚乳(中身)を乾燥させた物。とても質の良い脂肪分が多く含まれてる。)

 

でもでも、

それ以前に、ココナッツは、バヌアツの人たちにとって生活に欠かせない物みたい。

 

エキペ村で生活していると、生活のあらゆるシーンに登場する。

村でココナッツを目にしない日はない。

 

 

村中いたるところに生い茂るココナッツの木

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そこら中に転がるココナッツの中身は、

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暑さに対抗するポカリスエットみたいな飲み物にもなり、

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ちょっとつまむ食べ物にもなる。

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(畑仕事の合間、右下の人が食べてる物)

 

殻の内側に広がる白い層(胚乳)は、

若いココナッツの物は、

プリンのような食感のおつまみに、

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乾燥している物は、削って、

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絞って、

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ココナッツミルクとして、郷土料理のほとんどに使う。

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(ラップラップという郷土料理を蒸す前にかけるココナッツミルク。出来上がりは、下の写真)

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外側の殻には、中身を守る柔らかい繊維があって、これがまた便利。

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ちぎって、束ねて、いろいろな物を洗うたわしになったり、

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火を付けるタネにしたり、(ものすごく良く火が付く。)

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ココナッツミルクを絞る袋にしたり。

 

葉っぱは、

日本でいう茅葺き屋根のように、

束ねて、組み上げて、屋根になる。

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マットにもなる。

 

木の幹は、

ベンチになったり、

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家の建築材料になったりする。

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本当に無駄がなく、葉っぱから幹まで全て生活に活かされてるココナッツ。

 

バヌアツの生活とは切っても切り離せないココナッツ。

 

 

そういえば、2年前にモロッコに行った時に、

ロッコの人は、砂漠のことを、

 

「Mama of Africa」

 

って言っていたな。

 

自然ってすごい。

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教室は間違うところだ

とても好きな絵本がある。

 

教室はまちがうところだ

教室はまちがうところだ

 

 

長谷川さんのあったかい絵と蒔田さんの包み込むような語り。

 

授業で、発表するのは得意ですか?

授業で、手を挙げるのは好きでしたか?

 

毎週火曜日に授業に行ってる2年生のクラス。

とても元気で、パワフルで、にぎやかな子どもたち

素直で人懐こくて

本当に可愛い。

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ただ、本当にパワフル。

このクラスの先生も大声で指示出したり、怒鳴ったりしながら授業してる。

 

当然、ぼくのつたないビスラマ語じゃ太刀打ちできない時がある。

(1週間に1回とか、その時だけ行く飛び込み授業の難しさを感じる。にぎやかでパワフルか、落ち着いてて静かとか、担任の先生によってクラスの雰囲気もルールも全然違うんだよね。)

 

この日は、図形の立体の勉強。

 

「面が4つで辺がいくつで…」とか

「平面だけの図形と、平面と曲面がある図形が…」など

ちょっと複雑な説明が必要な場面がけっこうあったから、

担任の先生にも授業の流れがわかるようにワークシートを作って、

「今日は先生が授業した方がいいんじゃないかと思う。」

と言ってみた。

(今思うと、他のクラスに比べて、そのクラスに苦手意識があったから逃げようとしてたのかも。)

 

「あはは、カズがしゃべった後に、分かりづらいところ俺が通訳してやるから気にするな!授業やりな!」

(日本語にするとこういう感じの、人のいいおっちゃんなんだよね。)

その後に、

「こうやって練習するからこそ、1年後にはペラペラになってるぞ!」

(ペラペラかどうかはさておき、その通りです。)

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さて、授業はというと、

あの手この手で悪戦苦闘しながらも、

想像していたほどは、めちゃくちゃにはならなかった。

 

その中で、

立方体(サイコロ)や直方体(食べ物用タッパー)、円柱(ツナの缶詰め)や球(サッカーボール)

などの仲間を探す場面の時のこと。

 

初めは、探り探り何人かの子が発表していたけれど、

そのうち、分かってきたからか、すぐにものすごい人数の子が手を上げだした。

そのパワーの凄まじいこと!

 

「カズ!カズ!ミー!ミー!(僕!僕!)」

 

と、どの子も叫びながら手を上げる。

 

ちょっと一旦手を下げてもらって、

「しゃべらずに真っ直ぐ手を上げてる人に発表してもらうよ。」

と伝えると、

ほんの30秒くらいは静かに指名されるのを待つようになった。

 

けれど、我慢できない子たちの声がじわじわと出始めて、

静かにさせようとしたぼくの小賢しい言葉を吹き飛ばすように、

また、

ミー!ミー!の大合奏。

 

なんだかおかしく、子どもたちが可愛くなってきてしまって、

大爆笑してしまった。

 

授業中だったけど、思わず

「みんな最高だわ!写真撮らせて!」

と、撮った写真がこちら。

 

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今日も上手くいかなかったら嫌だな~とか考えて、

大事なこと忘れてた。

 

教室は「せんせいも」間違うところだった。

 

(授業はそのあと、最後の問題の出し方が悪すぎて、子どもたちに全く伝わらず、

この問題はもうやめよう。次の時間にまた考えよう。と、

しっかり失敗した。オーライオーライ!)

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WORLD TEACHERS DAY

10/4は、World teachers day(初めて聞いた)で、

学校はお休み。

 


先生たちのための日。

 


みんなで首都に行くよ!

ユニフォームが届いたぞ!

持ち寄る食べ物はどうしようか!?

と会議してて、パーティーでもするのかな?と思っていたら、


各校の先生たちが集まって

盛大なパレード

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首都を南から北へ横切って、

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イベント会場に着いたら、

いろんな人のスピーチ。

シャンパンで乾杯。

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みんなでランチ。

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民族ダンスや演奏。

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先生たちが、

「Happy teachers day!」と叫びながら、

大音量で音楽流しながら街を歩くのにもびっくりだし、

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先生たちが、

お気に入りの音楽が流れると、

みんなステージに集まってノリノリで踊り出すのにもびっくり。

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文化が違えば、

先生たちの雰囲気とかあり方も違うんだね。

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今日は、日本のぼくの学校で運動会。

これまでの練習・準備、先生たちお疲れ様でした。

いい天気の中、いい運動会になりますように。

みんなが練習してきた成果を発揮できますように。

もしも発揮できなくても、思いっきり楽しめますように。

自然は誰のものか

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土地って誰のものなんだろう。

こないだ村の人と話してて、疑問に思った。

 

日本の法律では、土地はお金を支払った人のものになってる。

国に払う税金はたくさんあるけれど、自分たちの土地は自分たちの財産。

バヌアツの村では、そんな法律はないのか、あっても気にしてないのか、

好きな場所に家を建てれるし、好きな場所に新しい畑を作れるんだよ!と言ってた。

 

土地って誰のものなんだろう。

もうちょっと大きい視点で見てみると、

戦争で土地を奪い合ってた時代がある。

日本の中でも、領地をめぐって戦をしていたし、

バヌアツは、つい39年前までイギリスとフランスの植民地だった。

 

もっともっと大きな、

小学校6年生の社会科「歴史」のはじめで学ぶ視点で見てみると、

地球の歴史が46億年。

人類(ホモ・サピエンス)の歴史が400万年。

 

地球の歴史を1年365日に当てはめてみると、

(地球が生まれた瞬間が1月1日0時、今現在が12月31日24時)

 

人類が生まれたのは

「12月31日 23時49分」らしい。

(年越しそばを食べながらの紅白歌合戦も終わって、

カウントダウンTVを見てる頃。)

 

文明が起こって、文字が記録として残ってる歴史は、5千年。

これは「12月31日 23時58分34秒」

(除夜の鐘を聞いてる頃。)

 

地球の長い歴史で見ると、日本の歴史ですら1分もないことになる。

 

自然って誰のものなんだろう。

 

 

バヌアツでは、

エキペ村の人だけじゃなく、

みんな自分たちの「ふるさと」をとても大事に思ってる。

 

けれどけれど、

すごく気になってることがある。

 

バヌアツの学校では、

毎朝、15~30分くらいゴミ拾いの時間がある。

時間もあいまいで、早く来てる子から拾う感じなんだけれど、

とにかく、毎朝、学校を綺麗にしている。

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ところが、授業が終わって、学校の敷地を歩いてると、ゴミだらけ。

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アメの袋、ポップコーンやスナック菓子の袋、鉛筆や壊れた定規、なぜかツナ缶のゴミ、などなど。

 

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そういえば、ゴミ拾いの最中、

子どもたちは、大量の落ち葉ばかり拾ってる。

そういえば、子どもたちは、

「カズはなんでプラスチックばっかり拾うの?」って声をかけてくる。

 

バヌアツの子どもたちは、

お菓子の袋も落ち葉も同じ単語「Dirty(汚れ)」で表現してるけど、あまり違いが分かってないのかもしれない。

 

学校から外に出て、村の中を歩いていると、ゴミだらけ。

大人もみんな、その辺にゴミを捨ててる。

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こんなに自分たちの国のことが好きで、

自分たちの村や自然のことが好きな人たちが

なんでだろう。

 

まず、多くのバヌアツ人は、食べ残しや食べカス(鳥の骨やフルーツの皮、野菜の芯など)をそこらへんに捨てる。

どの家でも犬を飼っていて、犬たちが我先にと食べるから。

たぶん昔は、ほとんど自然に還るものだけで生活していたから、何も問題なくて、

今でもその習慣が残っているんだと思う。

 

それから、10年前くらいに、今ぼくのいるエファテ島を一周するコンクリートの道路ができた。

それまではガタガタの土の道路しかなかったから、首都ポートビラに行くのにも大変だったみたい。

道路ができて便利にはなったけれど、簡単に都会に行けるようになったから、

安いスナック菓子とか甘いお菓子がすぐに大量に手に入るようになった。

 

そして、村にはゴミ収集車が来てない。

ゴミ収集車が来てないから、それぞれの家の庭のすみで燃やしてる。

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学校にもゴミ捨て場があって、定期的に燃やしてるから、ものすごい臭いを放ってる。

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つまり、

①ゴミをその辺に捨てる習慣がある。

②経済発展で生活が変わってきてる。

③ゴミを分別する知識がない。

④ゴミを回収するシステムもない。

 

これは手強い。

 

さあ、ボランティアのぼくには何かできるかな。

算数教育とは直接の関わりはないかもしれないけど、何かできることはあるかな。

 

まず、ぼくにできる簡単なこと。

学校でできることって何かなって考えたら、尊敬する一人の先生の姿がすぐに思い浮かんだ。

その先生は、毎朝、子どもが学校に来る前から学校の敷地内のゴミ拾いをしてる。

毎日、毎朝。

きっと子どもたちが気持ちよく登校できるように。

 

先週から今週にかけて毎日、全校で行うゴミ拾いの前から、1時間くらいゴミ拾いをしてみた。

登校してくる子たちに、挨拶しながら。

何してるの?って無邪気に声をかけてくる子。

遠巻きに見てるだけの子。

ただただ楽しく話しかけてくれる子。

一緒にゴミを拾う子。

ぼくの持っていたゴミ袋を持ってくれる子。

子どもたちはそれぞれの反応。

 

きっと、これでいい。

まさかぼくが拾ってる横でゴミを捨てる子はいないだろうし。

これを1年8ヶ月続けて、この日本人は毎朝必ずゴミ拾いをしてる、日本人は綺麗好きって印象が少しでもつけばOK。

ゴミを捨てる時に、チラッとでもそのことが頭をよぎれば大成功。

ちょっとのためらいが行動につながる、かも。

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(学校の敷地内だけで、しかも1時間だけで、こんなに拾えるほどゴミがあるってすごくない?)

 

それから、環境教育の授業で正しい知識を。

プラスチックが簡単に分解されないこと。

温暖化によって着実に地球の環境が悪くなってること。

自分たちの国の自然を守るために必要な行動。

 

授業を通して、

高学年の子たちを中心に、環境に関する運動もできるかもしれない。

子どもたちとキャッチフレーズを決めて、ゴミ拾いをしながら村を歩いてもいいかも。

 

各クラスに、ゴミ箱を置く必要もある。

 

それまでの習慣を変えるには、相当な時間と知識と労力が必要だと思う。

たぶん、思いとか正しい知識だけじゃ足りなくて、村の人にも利益のあるシステムが必要だと思う。

 

首都ポートビラ環境教育をしてる先輩のボランティアがいる。

最近は、村を回って活動をしてるらしいから、協力できるはず。

エキペ村にも来てもらって、キャンペーンをしてもらえたらいいな。

エキペ村にも、ゴミ回収車を回してもらえるといいな。

初めのうちは村の人の習慣がないから、ゴミ回収のためのゴミ袋も村に提供できるといいな。

 

できることはきっといろいろあるんじゃないかと思う。

うまくいくかどうかは分からないけれど。

ちょっとでも変わるかもしれないし、何も変わらないかもしれないけれど。

まず、行動してみようと思う。

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いってらっしゃいパパ

Take care & Good luck at work my dady!

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この写真は、バヌアツのぼくの家族。

エキペ村に来たばかりの頃に歓迎してくれて撮った写真。


真ん中で両手GOODのポーズをしてる人がぼくのパパ

右から2人目、緑のアイランドドレス(バヌアツ伝統の服)を着てる人がぼくのママ


他にもこの写真に写ってる人写ってない人がいるけど、

ぼくの兄妹が5人、甥っ子姪っ子が5人、親戚が大勢いる。


バヌアツでは、JICAボランティアが来ると、ファミリーを決めるらしい。

一度、ママとの会話の中で、ホストファミリーって言葉が出てきたから、

ホストファミリー(外国人を受け入れる家制度)ってことらしいけど。


けど、ぼくの知ってるホストファミリーの域を超えてて、

本当の家族の一員のように迎えてくれてる。


何から何まで面倒を見てくれて

気にかけてくれて

あったかく受け入れてくれて。

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朝・昼・晩の三食ご飯を食べさせてもらってる。

土日は、村でイベントがある時や村の人に食事の招待してもらってる時以外は、

ほとんど家族の家で過ごしてる。

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日本のぼくの家族と、バヌアツのぼくの家族で、TV電話をしているところ。

(お姉ちゃんがぼくのiPadで勝手に撮ってたみたい。そのイタズラの証拠写真が記事の最後にあります。)


そんなぼくのファミリーのパパが

今日からニュージーランドに出稼ぎに行く。

7ヶ月、行ってくるらしい。


エキペ村では、多くの男の人がオーストラリアかニュージーランド

フルーツピッキングの出稼ぎ(家を離れてお金を稼ぎに行くこと)に行ってる。

(フルーツピッキングというのは、バナナやぶどう、キウイやブルーベリー、オレンジなどを収穫する仕事。日本人のワーキングホリデーでもよく聞く仕事だけど、そりゃバヌアツ人にとってはいつもやってる仕事だから、プロだ。)


話を聞いていて段々と分かってきたことだけど、

エキペ村の、本当に多くの男の人が出稼ぎに行ってるみたい。

一家の大黒柱のお父さん、ぼくと同い年くらいの友達たち。

村の畑仕事もあるから、それぞれ行く時期をズラして。


誰々のお父さんが帰ってきた。

あの家のお兄ちゃんが今度、出発する。

って聞くことがけっこう多い。


生活のほとんどを自給自足してた昔と違って、

今は必要な稼ぎなのかもしれないけれど、


お父さんやお兄ちゃんたちが半年もいない村のことや子どもたちのこと、

けっこう大変な仕事内容(ぼくの友達は日曜だけ休みだって言ってた)を聞くと、

いろいろ考えてしまう。


昨日、隣の家の先生(長年校長先生をしてて、今年退職する先生)と話してて、その人が言ってた。

海外での生活費ももちろん必要だし、寝泊まりする農場の宿もあまり安くないから(彼らにとっては)、

稼いで帰ってくるお金はあんまり多くない。


バヌアツに入ってくるお金はちょっとしかない。

結局、オーストラリアやニュージーランドの中でお金が回ってる。


らしい。

うーん、考えてもどうしようもないんだけど。

いろいろと考えてしまう。

 


とにかく

今日から仕事に行くパパ、

7ヶ月間、元気で。

気を付けて行ってらっしゃい。

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小さな訪問者

家の前にカブトムシがいた。

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バヌアツにもカブトムシいるんだ!

(まあ、普通なんだろうけど、カブトムシ見たらテンション上がるよね。)

 

と思って、思わず写真を撮ったら、

「なんでbeetle(カブトムシ)写真撮るの?」

 

ちょっと上手く説明できそうになかったから、

「日本の男の子は、みんなカブトムシ好きなんだよ。」

とビスラマ語でも表現できる簡単な説明をしてみた。

 

「ふ~ん。」だって。

 

う~ん、カナブンと同じくらいの感覚なのかな?

と思っていたら、

 

なんと、バヌアツのココナッツがカブトムシの大量発生で被害を受けてるらしい。

www.abc.net.au

日本のニュースで見たら何事だろうと思う「緊急事態宣言」

 

ココナッツは、バヌアツでは、Mather of tree と呼ばれるくらい大切な植物で、

生活のあらゆる場面で活躍してる。

そりゃ喜んでカブトムシの写真は撮らないね。

 

 

小さい頃、バナナとハチミツで罠を作って捕まえに行ってたカブトムシ。

 

ところが違えば、害虫になっちゃうんだな~と、少しさびしくなった。

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村の兄貴たち

エキペ村の青年たちはみんなものすごくいい子たち。

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学校の先生も同じで、

若い男の先生が担任してる5年生のクラス、ものすごくまとまってる。

授業中も、静かな口調で語りかける先生の話に、みんなが聞き入る。

「よし、外に行くぞ!」と、

子どもたちと出かける姿なんて、みんなのお兄ちゃん。

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(社会の「海」についての授業で、歩いて30秒の海を実際に観に行くところ。)

 

その後ろ姿を見て気付いたけど、

これ、学校だけじゃなくて、休みの日に見る光景と一緒だ。

 

幼稚園生や小学生たちと優しく遊び、時に優しくからかいながら。

赤ちゃんを抱っこしてるあ母さんがいると、

すかさず、あやしに行って、

抱っこして。

 

畑仕事では、一番の働き手。

お父さん、おじいちゃんたちの働き方を見て、

慣れた手つきでどんどん仕事をこなしていく。

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なんていうか、ものすごく純粋で、

真っ当に育ってるなという感じ。

 

日本でいうと、中学生~大学生あたりの男の子たちがそんな感じ。

ぼくが反抗期真っ盛りだった中学生の年ごろの子も、

ぼくが家族よりも友達を優先してしまってた高校生の年ごろの子も、

 

(もしも今、日本でお子さんがそんな時期の方も、大丈夫です。

大学生になって広い世界を見て、いろんな経験をして、心から家族に感謝する時期がきっと来ます。)

 

みんなが村の兄貴たち。

 

 

それから、最近、分かったことだけど、

「カズは、ボーイズたちと畑に行っておいで。」とママたちに言われて、

兄貴たちと一緒に畑仕事をしに行った。

バヌアツ人の年齢がぱっと見じゃ分からないけれど、

たぶん、高校生くらい~30代の男の人がボーイズって呼ばれてる。

 

確かに、ここでは、肩にパチンコを乗せて散歩していたり、キラキラした目をしていたり、

少年のまま大人になったような人が多い。

 

きっとそういう大人を見て、次の世代の青年たちが育っていくんだろうな。

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ぼくもそんな兄貴たちの後ろ姿を見ながら2年間過ごします。

わくわくは世界共通

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ぼくの今のスケジュールは、

月曜日:1年生

火曜日:2年生

水曜日:3年生

木曜日:4年生

1日に1時間算数の授業をさせてもらって、

幼稚園、5年生、6年生、7・8年生の授業を参観させてもらってる。

 

英語もビスラマ語もまだまだなぼくの授業は、

正直、だめだめ。

 

本の学校でいうと、

「今日の授業全然上手くいかなかったな~。みんな、ごめん!」

と、心の中で思う感じの授業ばかり。

 

授業後に、クラスの先生と振り返りをさせてもらうんだけど、

(ヒマそうにしてる時間に、ちょっとおしゃべりしようよ。と話しかけてるだけだけど。)

「授業よかったよ。ビスラマ語もっと勉強しないとな。」

と励ましてもらう毎日。

 

まあ、指導力も語学力も裏技はないから

地道に頑張るしかない。

 

 

と、そんな中、先週の4年生の授業。

図形の「立方体」

 

立体は、空間認知能力(頭の中で図形を思い浮かべること)が必要だから、

つまずく子がけっこういる。

複雑な図形になると、面が何個、辺が何個、頂点が何個って大人でも「あれ?」ってなることがあると思う。

 

実際に図形を触りながら考えるのが、一番分かりやすい。

 

そこで、

展開図を用意して、みんなでサイコロ作りをした。

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本の学校だと、「立方体を作ってみよう。」とかって見出しがあって、

教科書の巻末にミシン線で切り取れる展開図があるところ。

(バヌアツの子たちは、ハサミもセロテープも持ってないから、

今回は、ぼくが35個の展開図を切り取って、セロテープを大量に切って。)

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やっぱり、良い方向に熱中してる時の教室の空気って全く違う。

軽やかな笑いがたくさんあって、作業や考えはそれぞれだからバラバラだけど、みんなが同じ方向向いてる感じ。

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一人一人がしっかり分かった感覚があると、まとめの時間が充実する。

授業後にノートを見ても、なかなかいい感じ。

 

そんな感じで、自分の中では久しぶりに「今日の授業けっこうよかったな~。」と思えた。

 

授業後の先生との振り返りでは、

いつも通りの「授業よかったよ。」だけだったけど。

 

けど、こうやって、バヌアツで働く日本人のぼくが、毎日振り返りながら先生として成長する姿を見守ってもらいながら、

「研修文化」を根付かせていけばいいのかなと思えた。

 

たぶん、「システム」を導入することと、

一人一人の先生の「マインドセット」をすることは

どっちだけじゃ足りなくて、両輪なんだと思う。

 

バヌアツの先生たちと一緒に、毎日勉強勉強。

ぼくも、ただいま成長中。

 

それから、

「モノづくり」にわくわくするのは世界共通でした。

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